エッセイ

母の名言「1番こわいのは人間よ」を体験する。

恐怖

「お母さん、怖いからトイレついてきて」

幼い頃、私は極度の怖がりだった。夜中に1人でトイレに行くぐらいなら、もらした方がましだ。

「ピー子ちゃん、1番こわいのは人間よ……

ヒィィィィィー!!!

暗闇の中で放たれた母のセリフは、放物線を描きながら私の耳へと吸いこまれていった。
その爆発力は、「破壊王 橋本真也」に勝るとも劣らなかった。

お母さん VS 橋本真也

1.4 東京ドーム

ありがとう。我々は忘れることはないだろう。
歴史に残るあの戦いと、母の名言を……。

それから時は流れ、ピー子はめでたく短大を卒業した。

 

春。
見た目だけで決めた、コンクリート打ちっぱなしのマンションで暮らし始めた。
最寄り駅まで徒歩7分。

同居人はなし。人はそれを「ひとり暮らし」と呼ぶ。

その時から、さまざまな経験をし「母の名言」の本当の意味を、思い知らされることになった。

嗚呼、まさに嫌というほど。

おうち焼き肉男

 

私が住んでいたマンションの1階の角部屋は、最寄り駅に向かう通りに面している。

駅に向かおうとエントランスを出たとき、いい匂いにつられて何げなく角部屋に目をやった。
カーテンが半分開いていて、男性がホットプレートで焼き肉をしていた。

「あっ、それもう焼けてるよ」
「タレ取って」

楽しそうに正面の相手に語りかけている。

カーテンでみえないが、向かい側に座っているのは彼女だろうか……。

そんなことを考えながら、前を通り過ぎるときチラッと男性の向かい側をみた。

そこには、誰も座っていなかった。

「ピー子ちゃん、1番こわいのは人間よ……

ヒィィィィィー!!!

白いセダン

 

20:00を少しすぎた頃、仕事を終え最寄り駅に到着。
徒歩7分の距離を一歩一歩、地に足をつけて歩く。

ブーン

小学校をすぎたあたりで、後方から車の気配を感じた。
ゆっくりと近づいてくる。私は直感的に身の危険を感じ、歩くスピードを速めた。

車はゆっくりとしたスピードのまま、ずっとついてくる。
車に押し込まれて……最悪の想像が頭の中でふくらむ。

「もう、ダメだ」と思ったとき、大きなガレージのある家の前にさしかかった。
夢中でかけ込み、積んであったタイヤの後ろにかくれた。

白い大きなセダンが、ガレージの前で急に止まった。
「誰かたすけて!」心の中で叫んだ。

車から降りてきた50代くらいの男性は、やさしい口調でこうたずねた。
「うちのガレージに何か?」

「ピー子ちゃん、1番こわいのは人間よ……
ヒィィィィィー!!!

駐輪場男

 

私は自転車を買った。

「へっへっへっへっ……、変質者よ!私のスピードについてこれまい」

めずらしくまだ明るいうちに家に帰れそうだ。
駐輪場で自転車のカギを開けていると、フェンスをはさんで目の前に人の気配。

ゆっくり顔をあげると、下半身を露出した男性がこっちをみながら立っていた。

「へっへっへっへっ…」穴が開くほど、私をみている。

「キャー」などとカワイイ声でおびえたら、露出男の思うツボだ。

自転車のカギを開け、露出男に大穴が開くほど見返し、ゆっくりと自転車にまたがった。

「倍返しだ!!!」

「ピー子ちゃん、1番こわいのは人間よ……

ヒィィィィィー!!!

長身男

 

雨の夜、傘をさして家路をいそいでいた。

ガシッ!
なんの前触れもなく、ものすごい衝撃を受けた。

後ろから胸をわしづかみにされたのである。
人は本当に怖いとき、声がでないんだなとぼんやり考えていた。

長身の男性が走って逃げていった。

痛い……。

家にかえり胸をみてみると指のあとが10カ所、くっきりとあざになっていた。

「もうちょっと優しくしてよ。あんたモテないでしょ」と独り言をつぶやいた。

「ピー子ちゃん、1番こわいのは人間よ……

ヒィィィィィー!!!

 

それから時は流れ、現在。

春。

環境や住みやすさを考慮した、戸建てで暮らしている。

同居人は愛する夫と、ネコのイギー。人はそれを「家族」と呼ぶ。

「お母さん、1番こわいのはやっぱり人間だ」

でもね、お母さん。1番、温かいのもやっぱり人間だ」